古きを訪ねて

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    七つ星
    ゲスト

    冬美ちゃんもお休みですので、古きを訪ねていると不思議なことに気が付きました。
    1.勢い
    デビュー半年ぐらいであれよ、あれよ、というぐらいの勢いでヒットしてゆきました。都はるみさんや八代あきさんの言われる通りです。
    睨みつけるような真剣な眼差しで歌う男歌、にもかかわらず、あの独特の色気のある美しい声から繰り出す唸り、40代~60代の男性中高年のアイドルになるのに時間はいりませんでした。時はカラオケブームの到来です。まだ若者はカラオケに見向きもしていません。しかし、中高年はゲートボールを捨てて乱立するカラオケ教室や歌謡教室に走りました。全国的にあッと言う間のブームで各地で発表会が行われ、中高年一世一代の舞台に衣装も奮発し美しいお声?と美しいお姿?を披露していたのです。そんな時、冬美ちゃんの男歌「あばれ太鼓」「男の情話」などを男性がこぞって歌っていたのです。カバーでも歌っている「花嫁」がそれまでの結婚式の定番だったのですが、「祝い酒」に取って代わったのも、そんなときでした。しかし、「能登はいらんかいね」「火の国の女」は難しいということもあり、素人衆の発表会ではあまり聞こえてこなくなりました。が、冬美ちゃんの歌唱力に引かれ、この辺りから女性ファンが増えてくるのです。そんな最初の絶頂期に忌野清志郎とユニット組むわけです。普通この絶頂期に普通路線のまるで異なるミュージシャンとユニット組ませるでしょうか?いくら同じレコード会社でも!ど演歌の先生であれば、ありえないでしょうね。何故可能であったのか、ずーっと引っかかっていました。
    2.清志郎
    清志郎さんはロック、フォーク、ブルースと境界不明ですが、言葉のイントネーションを大切にするミュージシャンで、イントネーションが悪いとメロを変えるということが言われています。冬美ちゃんはこぶしに興味を持ってくれたといってますが、こぶしだけなら他にもたくさんいます。冬美ちゃんのしっかり魂を込めはっきりとした発音で歌詞を歌うところにソウル感じたのではないかと思うのです。そんな言葉を大切にする清志郎さんと音楽性を理解して演歌以外の歌唱を身につけさせようとしたのは猪俣先生ということになります。
    3.猪俣公章
    猪俣先生は巨匠古賀政男氏の弟子ですが、決してど演歌の作曲家ではありません。作品を見ても幅の広さに驚かされてます。
    冬美ちゃんが最初カバー曲を歌うとき、演歌の手法、全部ダメと言われ戸惑ったといっています。「そういえば、猪俣先生にいろいろ指導されたことって、こういうことだったのではないかと、あの当時は若いということもあり理解できなかった」 「でもそれが、その後のしっとりした歌を歌うのに役に立つ」ということを言っていました。和歌山のステージで「心凍らせて」の歌唱にその成果感じました。今までに感じたことのない、しっとり感がありました。ディナーショウで耳元で「ジェラシー」と歌われたら卒倒してしまいます。猪俣先生は男歌でデビューさせましたが、美しい声、音程安定、素直に人の意見を聞くことができ、粘りづよい性格から、将来はど演歌に収まらない歌手に育てようとしていたのではないかと、思われるのです。
    4.猪俣先生、忌野清志郎さんのビジョン
    今日の冬美ちゃんの姿、ほとんどこのお二人いは透けて見えていたのではないかと、歴史振り返り気づきました。
    私が思っている以上に冬美ちゃんは当然理解していて、お二人の思いを風に乗せているのですね。またまた、いとおしくなりました。

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